サクセスオート湘南から一番近い史跡「玉縄城跡」

玉縄城

北条早雲が築城

サクセスオート湘南から一番近い史跡「玉縄城跡」2022年6月撮影
サクセスオート湘南から一番近い史跡「玉縄城跡」2022年9月

サクセスオート湘南から一番近い史跡は、玉縄城跡です。玉縄城があったのは戦国時代。1512年に北条早雲が築城したそうです。北条早雲は、伊勢新九郎ともいい領地を持たない浪人から戦国大名に成り上がった武将。まさに下剋上の象徴みたいな存在です。戦国時代の北条家をイチから築き上げた人と言えるでしょう。西の道三、東の早雲といえば、戦国時代の成り上がりの代表格です。

 

地名に残る戦国時代の城

玉縄地区には当時を想像させる地形が今も残っています。丘や坂、堀の跡です。また、城廻や陣屋坂など、城郭ならではの地名が残っています。今は、学校やマンションになっていますが、当時の玉縄地区は、相模国のほぼ中心に位置し、戦国時代の重要な拠点だったようです。

戦国時代は要所でした

小田原城への距離は約37km。大船駅から小田原駅、JRの特別快速ならおよそ30分で到着します。戦国時代、馬に乗って速足で移動すれば、川を渡る時間も含めて半日くらいで移動できたはずです(あくまでも推定です)玉縄地区は、今でも横浜市と鎌倉市、藤沢市が接する場所で、さまざまな地名のナンバープレートが行き交います。

植木1号市民緑地看板の写真2022年9月撮影

 1590年、時の天下人、豊臣秀吉の小田原攻めで、城主の北条氏勝は徳川家康の勧告で降伏。徳川幕府の支配が確立した江戸時代1619年に玉縄城は廃城となったそうです。今は、「植木1号市民緑地」として公開されています。緑地内には「16世紀頃の玉縄城想像図」が掲示されています。本丸や城主の館があって、まさに昔が想像できる楽しい図になっています。

サクセスオート湘南は玉縄地区の植木で1987年創業

サクセスオート湘南は、玉縄地区の植木で1987年に創業しました。お客さまひとり一人のライフスタイルにピッタリのクルマを創業からずっとご提案しています。新車の販売からこだわりの中古車探し、購入後のメンテナンスや保険までクルマのあらゆること、サクセスオート湘南におまかせください。